サ高住・親と子について

yjimageQMGJ4FHE昨今、子どもの虐待など日常茶飯事とも言えるくらい普通のことになっています。水面下においては、きっと数えられないくらい親子間の深刻な問題があるのだと思います。

過日、ある本屋で、事故で亡くなるまでアラスカの寒村に、長く親子で住んでいた一人の写真家のエッセイ集をパラパラと読んでいたとき、ある文章が目に留まりました。一目上質と思いましたので紹介します。短い文章ですが親と子の関係において特別な体温を感じさせるものでした。

まだ一歳にもならない息子が、黄葉が散り始めたベランダに座り、九月の秋の風に吹かれている。コガラがスーッと木々の間を飛び抜け、アカリスがトウヒの枝の上で鋭い警戒音を発し、風がシラカバの葉をサラサラと揺らすたび、彼はサッと世界に目を向ける。そんな一瞬の子供の瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きていく力をすでに感じるのはなぜだろう。そんなとき、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。

あなたの子供は、あなたの子供ではない。彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中でさえ訪ねることができない明日の家に住んでいるのだから。

yjimage2OPR030N・・・・僕は転んで泣き叫ぶ息子を見つめながら、「この子はひとりで生きてゆくんだな」とぼんやり考えている。たとえ親であっても、子供の体の痛みはもちろん心の痛みさえ本当に分かち合えないのではないか。ただひとつできることは、見守り続けるということだけだ。その限界を知ったとき、なぜか子供がいとおしくなってくる。

 

この写真家を親に持ったこの息子さんはどんなふうな人生を歩むのだろうかと、彼が遥かアラスカの自然そのままの大地に一人たたずむ姿をイメージしながら本のページを追いかけていました。この息子さんは幸せです。これくらい深く澄みきったものが書けたらいいですよね。

サンシャインゆりのブログを今後とも読んでいただけますことを。 スタッフ Zでした。