サ高住・つめあと

img_0_m東日本大震災から早や5年が過ぎました。ある被災地の小高い丘に「風の電話」と呼ばれている電話ボックスがあります。ダイヤル式の電話機があるだけで電話線は繋がっていません。あるテレビドキュメンタリーで、この「風の電話」を特集していました。被災された方々が、亡くなった家族に思いを繋げるためにこの電話ボックスに入りダイヤルを回し、今はいない家族に話しかけていました。
残された人から亡くなった家族への一方通行のごく平凡な独り言なのかも知れませんが、その会話を取り上げてみたいと思います。

 

 
「お父さんごめんなさい。ひどいことばかり言って。ごめんなさい。ごめんなさい。」。(五年間父親のことを全く話さなくなった中学生の娘さん。その弟さんは外のベンチで下を向いていました)
「もしもし、かあさん今どこにいる?早く見つかれ。この寒いのに風邪ひいてねえか。早く戻ってこい。なあかあさん待ってるから早く帰ってこい。何か食べてるか、なんでも食べろどこでもいいから生きてろ。・・・寂しいぞ。おらあ諦めねえ何年たっても」
「とうさん、かあさん、みっちゃん、イッセイ、時々何のために生きてるのかわかんねえ時があるんだ。助けられなくてごめんよ。もう一回だけ一度でいいからパパと呼んで、」
「おとうさん元気?心配しなくていいよ、僕は元気だよ。おとうさん今どこにいる?僕はここにいるからね。」
「もしもし、聞こえるかいおとうさん。また来たけどおとうさんが死んだときはどうしたらいいかわからなかったけど、何とか今まで生きてこれたよ。電話繋がっている?また来るからね。」
「おとうさんが出るかと思ってね、流された家の電話番号かけたよ。このさきの生活をね相談しようと思って。死にたいっては言わないけど悲しいことばっかりではね、一人は少し辛いよね。」

避難解除後いち早く南相馬市で理髪店を始めた夫婦の方はこんなふうに言っていました。
「私は、ここで頑張る。ここで頑張ってこの場所で死ぬ。もうこの町から離れない。」
「この仕事を始めて、ああこの人も帰ってきて散髪に来てくれた、あの人もこの町に帰ってきたと思うと何だかうれしくなるけど、きっとみんなが帰ってくるのを俺ここで待ってるのかも知れない。今気が付いたけど俺そんな気がする。この町にまた大きな何かが起こっても俺達はもう避難すらしたくない。」この町への思いと、胸のうちの覚悟をお二人ともさらっと自然に笑い顔で話していましたので余計に胸にこたえました。

被災された方々の言葉に何か感じるものがあったでしょうか。ごく普通の会話ですが、これらすべての言葉は深く透明感があって、どこへでもどんなところにも届いていると感じました。

世の中では宗教や民族上の対立の構図が顕著になっています。宗教は、普遍的なものとしての神様を拠り所として帰依し信仰するものですが、亡くなった方への思いを繋げるこの一本の「風の電話」は、その宗教が果たすべき役割とどれほどの違いがあるのだろうかと、比較は出来ずとも「風の電話」はそのようなものに映りました。ためらいながら語りかける残された人々のことばの深さと、回すダイヤルの指先に釘づけになり心震える1時間となりました。